今回特集するのはアメリカの人工肉メーカー「ビヨンド・ミート」だ。彼らが作るのは植物性原料のみを作った代替肉。代表製品は「ビヨンド・バーガー」だ。
植物原料を使ったバーガーというアイデアは新しいものではない。CNBCによると1982年から存在するという。
2009年に創業したビヨンド・ミートは、ちょうど10年後の2019年にナスダック市場に上場した。初日から株価は記録的な高騰を見せ、その後も一時は大変な高騰となった。今、最も注目される企業の一つだ。
人類史の中で大きな分岐点にさしかかっているのが「食」の領域だ。人口は増え続け、経済が成長するほど環境への負担は無視できないものとなる。
環境問題は20世紀から世界的に議論されるようになったが、社会全体の方向性は大きく変わっていない。そんな現状に危機感をいだき、一人立ち上がったのがイーサン・ブラウン。ビヨンド・ミートの創業者兼CEOだ。
今回の特集では、イーサン・ブラウンが何故ビヨンド・ミートを創業するに至ったのか。創業してからのプロセス、今後の展望についてご紹介したい。
1970年代生まれのイーサン・ブラウンは、少年時代の多くを父親ピーター・ブラウンが営んでいたメリーランドの酪農場で過ごした。
ピーターはメリーランド大学の教授(当時)だったが、やがて「もう一つの天職」として見つけたのが酪農だ。
イーサンは長い時間を酪農場で過ごし、幼少期から動物と触れ合う機会も多かった。時には罠をかけて捕まえて、観察して放したりもしていた。
父ピーターによると、イーサンは7歳になった頃すでに豚の扱いについて問題意識を持っていた。「人間は犬をペットとして大事にするが、とてもよく似た豚は食用にして、尊重しないのは何故か?」
そんなイーサンに対し、ピーターは簡単に答えを与えなかった。疑問を掘り下げることを奨励し「どのように考えるか」だけを伝えた。やがてイーサンが大人になるにつれ、アメリカ全体の食肉大量消費社会を知ることになる。
イーサンは酪農場の景観全てが大好きで、今でもオフィスに写真を飾っているいう。少年時代の体験は、イーサンにとって生涯考え続ける重要なテーマになった。
ティーンエイジャーになる頃には、イーサンは既に菜食主義者になっていた。