2020年11月、いよいよ実施されるのがアメリカ合衆国の大統領選挙だ。
トランプ現大統領は新型コロナにかかったかと思えばすぐ回復し、早速Twitterで「相場混乱活動」を再開した。今後もしばらく波乱の状況が続くだろう。
アメリカの大統領選挙は、「予備選挙(とても長い)」と「本選挙」で構成されているが、なぜこんな面倒なプロセスになったのか、ご存知の方はいるだろうか。
歴史を紐解くと、かつての「新興国」アメリカで、いろいろな事情に基づいて出来上がったことが分かる。今回はその歴史的経緯にフォーカスとあててご紹介したい。
広い目で捉えると、アメリカ大陸の歴史はとても長い。
紀元前3万年前には世界中の水の大半が大陸氷床として凍りつき、アラスカとシベリアを挟んだベーリング海の水位は今より何百メートルも低かった。
アジア大陸と北米大陸の間には「ベリンジア」と呼ばれる陸地が出現していた。ベリンジアには大型の動物が集まり、初期の人類はそこで狩りをしていたとされる。
歴史家によると、これを渡って北米にたどり着いたのが最初のネイティブ・アメリカンだ。少なくとも紀元前1万年前までには、南北アメリカの各地で人が生活していた。
ヨーロッパ人が本格的にアメリカに進出するのは16世紀以降、たった500年ほど前である。
スペインは1522年にメキシコを征服、そこから北上していく。スペインに多大な富が流入するのを見て、他の欧州列強も乗り込む。
17世紀に入ると、ヨーロッパから巨大な移民の波が押し寄せる。中でも多かったのが英国人だ。命懸けで海を渡ったのには大きな目的があった。本国での貧困や弾圧から逃れるためである。
大英帝国は世界中に勢力を伸ばしていたため、アメリカ大陸の支配を強固にするのは難しかった。移民たちはこれ幸いと、自由な大陸での暮らしを謳歌した。
18世紀までに、北米の植民地は多くが英国王直轄となった。しかし、自由と権利を主張する植民地議会は、国王が任命した総督に対抗するようになる。
やがてフランスが北米から退却すると、植民地側は英国による後ろ盾をますます不要とみなした。反対に英国は、拡大する帝国を支えるために課税を強化した。
アメリカの有力者たちは、しばしば暴力的な手段をも用いてこれに対抗する。こうして1775年に始まったのが独立戦争だ。
アメリカは翌年に早くも「独立宣言」を出したが、しばらくは苦戦していた。1778年にフランスが植民地側に加勢、戦局は徐々に逆転する。1783年にはパリ条約を結んで決着した。
ちなみに、米国独立戦争は「フランス革命(1789-1799年)」の実質的な契機になったとも言われる。フランスの知識層は自由国家の創立に刺激され、フランス政府は戦費がかさんで財政難が悪化した。
独立国としての地位を獲得したアメリカは、今につながる様々な社会システムを構築する。中でも大きいのが、1787年に作成された「合衆国憲法」だ。