今や日本を代表する企業となった「ユニクロ」。バブル崩壊以降、不況にあえぐ多くのアパレルブランドを尻目に、業界を席巻しました。
現在のユニクロは、「ヒートテック」「ウルトラライトダウン」などの高機能製品が売りです。しかし、かつては安売りの代名詞として語られていたことを覚えている方も多いと思います。
ユニクロは、ZARAやH&Mなどのファストファッションと同じ「SPA(製造小売)」を日本でいち早く採り入れ、低価格帯のカジュアルブランドとして台頭しました。
こうした流れもあり、ユニクロもファストファッションの一種であるように誤解されがちです。しかし実際には、ユニクロとファストファッションの間には大きな違いがあることをご存知でしょうか?
今回のシリーズでは、「ユニクロ」と「ファストファッション」の違いについてご説明するため、アパレル業界の中でユニクロがどのように生まれたのか、なぜ「安売り」のイメージから脱却しようとしたのかについてお話しします。
まずはユニクロの歴史をざっくりとおさらいします。
発祥は、1949年に山口県で創業した紳士服店「メンズショップ小郡商事」です。創業者は、ユニクロの生みの親である柳井正氏の父親、柳井等氏。柳井正氏が生まれたのも1949年です。
柳井正氏は早稲田大学を卒業後、父の勧めでジャスコに入社します。ところが、パチンコや麻雀で大学時代を過ごした柳井氏は働くのが嫌になり、わずか9ヶ月で退職。
仕事をやめてブラブラしていましたが、見かねた父親から家業を手伝うように言われ、小郡商事の仕事を手伝うことになります。当初は、古株の社員1名をのぞいて全員が退職してしまうほど、マネジメントに難のあった柳井正氏でしたが、父親はそんな彼に経営を引き継がせることを決めます。
悪戦苦闘しながらも柳井氏は独学で経営を学び、1984年に正式に社長となります。そして同年、新しいカジュアル衣服ショップとして開店したのが「ユニーク・クロージング・ウェアハウス」です。
当時、日本のアパレル業界では「DCブランド」が大ブームでした。DCブランドとは、三宅一生や山本耀司などの著名デザイナーを前面に押し出し、思いっきり高価格で売るというもの。高い洋服がどんどん売れる時代だったのです。
当時のデパートやセレクトショップは、店舗スタッフによる「対面接客」がモノを言う世界です。店舗ごとに「性別」「年齢」「テイスト」などで客層を絞り、シーズンに1〜2回、なるべく高い商品を買ってもらうというのが勝負どころでした。
そんな中でユニクロは、若い人でも手が届きやすいカジュアル衣服に特化してスタート。広島市にオープンした1号店は初めから活況で、初日の早朝から行列ができるほど。消費者の心を掴みます。
当初のユニクロが画期的だったポイントは、大きく3つ。