帝国マイクロソフトを作り上げたビル・ゲイツの半生⑤IBMとの協業で波に乗る
(前回の続き)
初期のマイクロソフトは、人気の言語「BASIC」をマイクロコンピュータ向けに実装し、大小コンピュータメーカーとの契約を勝ち取った。
事業が拡大すると、ビル・ゲイツやポール・アレンは、アルバカーキからベイエリアへの移転について考えはじめた。
アルバカーキのような田舎で人材を集めることは難しい。アップルはじめハイテク産業の人と資本が集まるシリコンバレーに、マイクロソフトも移転することを検討したのである。
一方、ポール・アレンは故郷シアトルに帰りたがっていた。アルバカーキは砂漠地帯であり、自然豊かなシアトルに恋い焦がれていた。
移転先をベイエリアにするかシアトルにするか、何ヶ月も話し合う中、アレンはゲイツの両親に、シアトルに移すよう息子を説得するように頼んでいた。
結果として、1978年末にマイクロソフトはシアトルに移転することが決定。移転の際、ゲイツはアルバカーキからシアトルに向かってポルシェを時速100マイル以上で走らせ、スピード違反で2回切符を切られた。